5月7日
小田原で眼科検診を受けた。
小雨模様の湯河原駅前に降り立った時、厚い雲のせいもあって、店の明かりが輝いて見えた。
物心ついた時から、いつも決まって孤独感をかき立てる、あの夕闇が迫っていた。
バスの時刻まで30分近くある。
さて、どうやって時間をつぶそうかと考えた時、チェスをする二人を思い出した。
この天候ではさすがに彼等も釣り場にはいまいと思った。
思いめぐらす中で、困難なことを口走った責任感も脳裏に浮かんできた。
そうだ、駅前には図書館がある、そこでチェスの話が見つかれば責任の一端を果たせると思った。
図書館の玄関フロアはさほど広くない。入ると右手に受付カウンターがあり、その他の空間は書架で埋め尽くされている。
文学書の並ぶ書棚を見つければと思い探したが、書籍の分類は予想だに多く、容易でないことがわかった。
入り口のカウンターの中にいる館員に尋ねることにした。
いかにも館員といった雰囲気の女性と、書架の間をすり抜けるには不都合と感じられる太めの青年がいた。
「ステファンツバイクのチェスの話はあるでしょうか」
女性館員が、
「チェスの話ですね」と受け応えてくれた。
「そうです」
すると、男性館員が
「ステファンツバイクで検索した方が早いよ」
と女性館員に助言した。
検索ディスプレーを覗きながら
「マゼランとマリーアントワネットしかありません」
「では、ツバイク全集はありませんか。その中にチェスの話が収められているかもしれません」
「全集は当館にはありません。ご希望なら県の図書館から取り寄せる事ができます」
と男性館員が解決法を示してくれた。
一瞬思いめぐらした。
私が借りることが目的ではない。
目的はあの二人に情報を伝えることだ。
「いえそれには及びません」
と答え館を出てバス停に向かった。
回想
ツバイクのチェスの話を読んだのは半世紀も前だ。
1961年、当時渋谷本町に住むMを訪ねた時、彼がこの本をくれた。
それまでツバイクの名前も知らなかった。
彼は碁が好きで、訪ねるとまず折りたたみ碁盤を出すのがならいだった。
彼は私に4子置いても勝てなかった。
私が強いのではない。
彼があまりにも弱かった。
「近くに初段の人がいるけど、その人より君はずっと下手に思える。なのに、なぜ負けてしまうんだろう」
と悔しがる。
「君が絵を描いている間、僕は碁を打っているから勝って当然さ」
お互い碁は好きだったが1局打てばそれで勝負は終わっていた。
帰りの列車の中でチェスの話を読んだ。
チェスを全く知らない主人公がスパイ容疑で幽閉される。
供述を引き出すため尋問室以外一切人との接触を絶たれ、何の音も聞こえてこない何もない部屋で時間の経過さえわからない。
その状況の中で、ある日尋問室の壁に掛かっていたコートから一冊の本を盗み出す。
それが初めて見るチェスの棋譜だった。
やがて彼の全神経はチェスの駒の動きに占められ、その思考の世界が現実と入れ替わっていった。
現実と形而上の世界が入れ替わるのは、現実と幻覚が混沌としていく分裂症に似ている。
やがて釈放され、大西洋横断の客船上で物語は結末を迎える。
話の設定もとても興味深いが、何よりその文章に惹かれた。
修飾語が濁流となって覆い被さってくる感じを受けた。
絶え間ない激流のような文章にすっかり見せられてしまった。
しかし、ツバイクの本は私の手元に一冊もない。
私は本に対する愛情がないからに違いない。
人に勧めてあげてしまうのと、度重なる引っ越しで本も廃棄してしまう。
瑛九に関する本が少しあるだけだ。
ツバイクもヘンリー・ミラーも遠くなった。
50年前の青年を熱くした世界は遺跡のかけらとなっていくのか。
南視
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