偶然見つかった古いバックアップデータをドライブに入れてみた。
古いものの懐かしさから、そのデータを少しいじってみよう。
10年前開いていたホームページの画像データなどがそれだ。
添付した画像は瑛九の油彩「田園」のサインの描かれた部分だ。
当時のホームページに書き込んだ瑛九についての記述を今三度書き残そう。
今三度という言葉はない。
同じ言葉を瑛九から聞いた人が、それは前にも聞きました、といくらか批判めかしていった時
「繰り返し言わないと人は僕の言葉を理解しないからだ」
瑛九はこう言い返したそうだ。
私の文章を見る人はほとんどいない。
このブログに迷い込んだ人も多くは料理のレシピでも見ようとした人が多いだろう。
そこで色々書きまくることにした。
いつか、瑛九に興味を持ってくれる人に出会えるかもしれない。
晩年の瑛九は孤立していた。
傍から見れば孤高であった。
本人から見れば雑なる人付き合いを断ってすべての情熱を制作に集中していた。
発表の自由を求めて同志を集めたデモクラート集団もいち早く解散した。
自分を評論出来る思想家はいない。
弟子はいない。
自分が今全神経を注いで新しい表現に取り組んでいる時、弟子を持つ心境にはなり得ない。
絵の具と筆とキャンバスと時間があればいい。
後必要なものは画材と生活に必要な金をもたらせてくれるコレクターだ。
瑛九を支えるのはどこかで彼の作品に感動してくれる鑑賞者だ。
表現者と鑑賞者との目に見えない精神の共鳴が彼を支えていた。
その意味に於いて孤独ではなかった。
当時、かってデモクラートのメンバーであった磯辺行久がいた。
彼は聡明で絵を見る目も確かだった。
いみじくも彼は言った。
「あなたは瑛九に利用されている」
これは瑛九の50号の油彩を購入した私への言葉だ。
当を得ている。
私は思った。
瑛九に利用されるなんてなんと光栄なことだろう。
南視
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