2010年5月18日火曜日

新崎川の瀬音をたどる



5月18日

朝のニュースが終わると疲れを感じて目を閉じた。
老人に明日はない。
明日は希望の下にある。
希望は変化への期待だ。
老人だけではない。
社会そのものが明日への希望を失っている。

目を閉じると少年の頃の回想に入った。

わたすみっか
きーしべみもみーえーずー
そのなーがーれ
ちゅうーやをすてーず
たいりくのよくやうーるおし
みずはまんまん
なーがれはよーよー
とーとーよーよー

7,8才の頃覚えた歌を脳裏で歌う。
この歌は揚子江の歌と思うが、川から新崎川を連想した。
新崎川の河口はどうなっているだろうか。
河口であって川口とは言わない。
海に注ぐ時、川は大きくなって河となっているからだろう。

湯河原には2本の川が海に注ぐ。
湯河原の中央を流れる川が新崎川で、熱海市との境界を流れるのが千歳川である。
熱海市との境と言うより、神奈川県と静岡県の境といった方が存在感が増す。
湯河原は真鶴半島の付け根にある福浦漁港から千歳川河口までの海岸線をもっている。
昔の海岸線を知らない。
想像するに、目一杯左右に美しい海岸線が広がっていただろう。
今は道路が海岸線沿いに延び、人の進入を拒んでいる。
そのうえ、熱海寄り半分の海岸は埋め立てられテトラポットの護岸になっている。
一部海釣り場に整備されている事が救いではある。

これまで河口を含む海岸線に降り立ったことがなかった。
135号線を渡り、有料真鶴道路をくぐらなければならない。
付近に駐車場もなさそうだし、埋め立て地にあるスーパーマーケットの屋上から眺めるだけで近づこうとは思わなかった。

陽光は色濃く茂る木々の間を抜けて窓際を照らしている。
この明るさの中で一日鬱々と過ごすのはあまりにもわびしい。
久々に外歩きを思い立った。
目指すは新崎川河口である。

つづく・・・
南視





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